- 題名
- 朝の手紙 - 43 -
- 登録日
- 2015/12/06
- 内容
今日は、差別と差異について考えてみましょう。差別(discrimination)とは、すべての人間は平等ではないという不平等の意味があり、
差異(difference)とは、すべての人間が同じではないが、皆は平等であるという考えから始まります。
従って、「差別を認める社会、組織は悪い。」と言えますし、「各個人の違いを認めない社会や組織も悪い。」と言えます。
差別をせず、互いの違いを認め合う社会、組織を作ることが私たちの指向点であり、目指すべき方向です。
次に、対話と疎通について考えましょう。対話(dialogue)とは、互いに単なる話し合うこと(talking)であり、疎通(コミュニケーション)とは、話す相手を理解するところ(mutual understanding)までいくことです。
私たちが今、合い言葉として掲げる「Integration」へ到達するための最初のステップは、「疎通すること」です。
前回、研修所で行われた社内講師のプレゼンテーションの中から、Sチーム長の言葉を引用します。『疎通とは、相互理解と共感で互いを尊重し、配慮するものであり、そのために暖かい議論文化と情報の共有、そして双方のコミュニケーションが必要である。』
共感します。私たちは誰もが、仲間たちと疎通したい。しかし、多くの場合は会話にとどまってしまうことをたくさん経験しています。
なぜでしょうか?
何が私たちの心を開かないようにさせたのでしょうか?
コリント人への第一の手紙(新改訳) 13章11節です。「幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。」
大人になるということ(成長)は、子供の頃の時間を否定するものではなく、その時間を経て大人らしくなるという意味で理解出来ます。
私たちの周りにある多くの問題、色々な状況の中で私たちの目に見えるものは仕事と問題ですが、目に見えない「関係」に焦点を合わせると、互いの心が開かれると考えます。しかし、このことは言葉では簡単ですが、決して容易な挑戦ではありません。
なぜなら、そうするためには会社と、同僚と、部下に対する「愛」が必要となるためです。焦点を自分だけに集中させる、子供のような利己的状態から脱して焦点を相手の有益に合わせる、そのような愛であるので、決して容易ではありません。
その日の朝、槐山(ゴェサン)の研修所にはたくさんの雪が降りました。役員たちが「品質向上」というテーマでワークショップを行った翌日の朝です。たくさん降り積もる雪見も良いことでしたが、その後、それぞれがスコップとほうきを持って研修所前の道と周辺をみんなで雪かきするときに、私は役員たちが互いに疎通したいという気持ちの種を見たようで、本当に良い気分でした。
会社ではみんな、忙しいという言い訳で、このような疎通の場をこまめに作らなかった為であったということが分かりました。
このように純粋で、献身的で、協力したい気持ちを一つに束ねることこそ、教育の役割であると思いました。ここ我々の研修所で常に教育が行われることによって、全てのシムテック人の心が一つになれると思います。それにより、私たちの内なるエネルギーが一つに集まって、対外にはMade in SIMMTECHのQuality Standardになることを期待します。
社内講師の教育で「私たちの物語」から始まるお話しをしましたように、歳月が経った後、残るものは私たちの物語であり、私たちの関係であるでしょう。今、2015年12月研修所のワークショップで始まった、私たちの物語が品質と歩留まりの向上につながり、その話がまた後を継ぐ後輩たちに「私たちはその時、一丸になって、難攻不落と思っていた歩留まりの壁を乗り越えたよ。」と伝説のように伝わっていくことを想像し、喜びを感じます。
- 前のページ
- 朝の手紙 - 42 -
- 次のページ
- 朝の手紙 - 44 -