- 題名
- 朝の手紙 - 36 -
- 登録日
- 2012/05/20
- 内容
「自分を 愛してくれる 人を 愛したところで、 あなたがたにどんな 惠みがあろうか。
罪人でも愛してくれる 人を 愛している。
また、 自分によくしてくれる 人に 善いことをしたところで、 どんな 惠みがあろうか。罪人でも同じことをしている。 -----ルカの福音書(新共同訳) 6:32-33 -----「If you love those who love you、what credit is that to you?
Even ’sinners’ love those who love them。
If you do good to those who are good to you、what credit is that to you?
Even ’sinners’ do that。 ----- Luke 6:32-33 ----
シムテック家族の皆さん、私が皆さんへ送るこの手紙を熟読される方は、おそらく今日,私が書く手紙を待っていたと思います。 私は最近、数編に分けてシムテックの宣言書の各項目について、その背景を説明致しました。
第1項は、「正直 Integrity」で私たちの核心価値であり、
第2項は31編に、第3項は34編でお送り致しました。
今日は第4項、「私は、仲間たちを家族と思う。」についてお話します。「愛」とは、大きく感性的なものと理性的(意志的)なものに分けて考えることができます。
感性的な愛は私たちが一般的に感じることで、自然な感情の流れであり、特別な訓練が必要ありません。私に優しく接してくれる人は良い人であり、その逆は悪い人という二分法的な思考をはじめ、異性を知り感じるというような愛が、全てここに含まれます。しかし、私たちが成長し、人格が成熟すると、この感情的な愛のほかに、訓練と意志が必要なもう一つの愛の領域があることを知るようになります。
果たして、私たちは会社の仲間を自分の両親、兄弟のように愛することができるでしょうか?
もちろん、仲間の中には、私と同じ考えを持つ、いわゆる「心が通じ合っている」、「相性がいい」同僚とは、たやすく愛することができます。
しかし、自分とは考えが違って、会議または現場でよくぶつかってきたり、嫉妬心を引き起こさられたり、時には腹立たしくさせられる仲間を、果たして愛することができるかが私の質問です。
難しいことです。
もちろん私にも難しいことです。なぜなら、これが私たちの本性ではないためです。
しかし、私たちが成長(grow up)するためには、時には本性に逆らい、その時代の文化、伝統にも逆らわなねばならない時があります。
もし、私の仲間が私のようにこの会社を愛し、会社の発展に焦点を合わせる人であったとしても、私と考えが違い、心が通じ合っていないということで、彼を警戒し、彼が出した案をむやみに反対したり、無視したりすることは、成熟した人の反応であるとは言えません。これが、シムテックの宣言書の第4項を作った背景です。これからは、間違って(wrong)いないが、私と考えが違う(different)仲間を「歯を食いしばって」愛してみましょう。
彼と私の間の問題や仕事に焦点を合わせることではなく、「彼との関係」に焦点を合わせてみましょう。私たちがどれほど互いを必要とし、また大切な関係であることに、一度焦点を合わせてみましょう。前回の西安では、砂と粘土のたとえをし、「統合:Integration」をテーマに会議を行いました。
粘土のようにひとつになるためには、意志的な愛がなくては不可能です。
味方になってくれ、私を愛してくれる仲間だけを私の仲間として接する幼い愛から抜け出し、同じビジョンを共有するが、私とは少し違うその人を快く懐に入れさせ、一緒に進みゆく成熟したシムテック人になりましょう!「 自分を 愛してくれる 人を 愛したところで、 あなたがたにどんな 惠みがあろうか。
罪人でも, 愛してくれる 人を 愛している。また、 自分によくしてくれる 人に 善いことをしたところで、 どんな 惠みがあろうか。罪人でも 同じことをしている。」
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